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2020年4月24日

私は諸君を無暗に電光の世界へ引き込む眞似だけはしたくない。
電光に吸ひ込まれる日々ほど愚かなことは無い。
唯、私は眞にインターネットと云ふ媒體を用ゐて、何かを傳へたいと考へてゐる。
電光と云ふ垣根を越えて、眞の光を見附けて欲しい。
少しでも其の助けとなるやう、精一杯努めるつもりだ。

此のBolgには、光、あるもの、新世界なぞと云ふ單語が頻繁に登場する。
が、決して惡德な宗敎などでは無いので安心して欲しい。
(──夢、志、人生の目的など、……自らの思ふよう勝手に飜譯してくれ給へ)

南蠻一の智慧(なんばんいちのちえ)──三國志演義を知つてゐるだらうか。
物語の終盤、南蠻(南方の異民族)の朶思(だし)と云ふ大王が登場する。
禿龍洞と云ふ洞窟の主で、南蠻一の智慧者と呼ばれた。
最後は物語の中心である蜀漢の天才軍師、諸葛亮の軍勢に討たれてしまふ。
唯、彼には諸葛亮さえ持たぬ固有の知見があつた。
(──三國志演義では專ら南蠻は未開の蠻族として描かれてゐる。)
私は諸葛亮には成れないかもしれない。
けれど、都と云ふ常識の外側に居るからこそ、何か屆けられるものがあるかもしれない。
──都は何時だつて正しいのか、南蠻にこそ人の暮らしがないものか、……
世のはみ出し者と呼ばれても、傳へたい智慧がある。
そんな意味を込めて、南蠻一の智慧とした。
ちなみに、朶思を中國語で撥音すれば、Duo Siと成る。

もし筆者に興味があれば、重ねて「私の經緯」も見て欲しい。
都から程遠い、此の南蠻の地を訪ねてくれたこと、深く感謝申し上げる。